笑顔は何にも勝るという 【鳳武・星野陽】2007-11-25 Sun 22:27
「あのー」 突如頭上から降ってきたその声に、長きに渡り続いていた参考書との睨み合いが一時休戦となる。 「あ゛ぁ?!」 強敵を前にして苛々が最高潮に達していた俺は、顔を上げるとその呼び主に向けて頭ごなしに噛み付いた。 だが、八つ当たりの念を込めたそのあからさまな声にもそいつは全く怯む素振りを見せなかった。 「隣、いいッスか?」 「あ?…あぁ」 少々拍子抜けしながら改めて見たそこにはタレ目がちな男が一人。 『一体その本使って何する気だ?!』とツッコミを入れたくなるほどに、分厚い本を何冊も抱え、そいつはヘラヘラと笑っていた。 つかみ所のない朗らかな笑顔に流され、不本意ながらも反射的に俺は気の抜けた返事をしてしまう。 が、その直後。 ある事に気付いた俺は人知れず眉を顰めた。 (――ちっ、まずった) 今日はよっぽど深く集中していたのだろうか。俺ともあろう者が、こいつの存在に気付かなかったとは。 俺は独りきりで静かに勉強をするのが好きだった。 だが、それは建前としてだ。 『勉強している姿を他人に見られるのが嫌だから』というのが、実のところの本心だったりする。 邪魔者を防ぐために部屋の奥隅で誰にも顔を合わせずひっそりとやっていた勉強。 近くに人の気配を感じただけですぐさま場を他に移していたのに、まさか同席までするはめになるなんて。 これは早い所ごくごく自然を装って立ち去らなければ。 「すんませんッス!」 そうこう考えているうちに、男は持っていた本をドサリと机に置くと早速隣に居座ってしまった。 隣に気付かれぬよう俺は小さな溜め息を吐く。 そもそも数時間前にここで蓮に見つかってしまったあの時から、俺の調子は狂いっぱなしだった。 あれからずっと一つの問題集に掛かりっきりで全く先に進めていないのも、おそらくそこに何かしらの原因がある。 そんな、蓮に対して理不尽極まりない事を考えていた矢先だった。 (そういえばこいつ…どっかで見たことあるような…?) ふいに何となく違和感を覚えた俺は、ちらり、と隣の男の顔を盗み見た。 「オーラ…じゃなくて、オーブ(鳳武)の泉〜v」 「…はぁ?」 「武、この前大のこと、“悪いモノや暗いモノが寄り付かないタイプ”って言ってたじゃん?」 「あぁ、まー…な」 「じゃ、あの子は?」 「あぁ?…大志としゃべってるやつか?…初めて見るな」 「1年の星野陽くん。素直でいい子だよ〜」 脳裏に甦ったのは先日行なわれた蓮とのやり取り。 あの時は遠目だったためにその顔をよく見ることはできなかった。 だがこの軽そうな髪には見覚えがある。おそらくあの時の奴に間違いないだろう。 しばしの回想の後、俺はいよいよ確信を持った瞳で参考書を盾にそっと奴の姿を覗き見た。 (星野…とかいったな。こいつ俺のこと知って―――) 『ばち』 それは起きるべくして起きたことだった。 思わず声を失う、というのは多分こんな時で。 実際そうなった時の人の顔、というのはまさしくこんな顔なのだろう。 「〜〜〜〜〜っ!」 タイミングがいいのか悪いのか、盗み見ていた俺と何気なくこちらを向いた星野との目が合う。 ばっちりと合ってしまった目はなかなか逸らす事ができず、互いの瞳に映るのはなぜか隣の男というこの展開。 シンと静まり返る図書室で、そんな男二人の気まずい見つめ合いが続いた。 (な、ななななっなん、ど、どぅ、すすすれ、ば) ここは何かを言うべきか、はたまた無言のままソッポを向くべきか。 俺に選べる道は二つに一つしかない。 だけれど、後者はあまりにも情けなくはないだろうか。ガキじゃあるまいし。 そんな慌てふためく俺を他所に、肝心のもう一方の当事者があっさりとその答えを見つけてしまった。 「ははっ」 元から下がりぎみの目尻を目一杯細め、その顔に満開の笑顔が咲き誇る。 それは、眩しい笑顔という言葉がまさにぴったりな表情だった。 「・・・・・」 「ん〜早く終わらせて部活行かなきゃー」 呆けたままの俺を然程気にかけることもなく、やがて星野は自身の勉強へと取り組み始めた。 奴の切り換えの速さに安堵の息を吐きながら、俺自身も一時休戦中だった戦いへと再び挑み始める。 落とした視線の先で羅列される活字を追っていると、ふと、一人この地へと赴いた当時の心情が思い出された。 白と黒のコントラスト上に浮かび上がるのは色鮮やかな笑顔。 嫌味の無い純粋で綺麗なそれはいつも俺の心を和ませてくれていた。 遠く離れた場所で一人佇むその片割れに、元気だろうか、と俺は想いを馳せる。 結局、当初すぐにこの場を立ち去るつもりだったものが、思わぬ関係者の登場にそうもいかなくなってしまった。 時たまブツクサと独り言を零すのが多少なりとも気に障るところだが、この際それは置いておくしかない。 俺は仕方なしにもう少しだけここに残る事を決め、窮屈で息苦しい時間を過ごす決意をしたのだった。 * END |

